もうすぐ母の日です。母の日のギフトに花とスイーツをプレゼントしよう!

2009年6月19日金曜日

母の歌ベスト5

 母を歌った歌といえば、海援隊(昔、武田鉄矢が所属していたグループ)の「母に捧げるバラード」 やここ2,3年芸能界をお騒がせの森進一「おふくろさん」、さだまさし作 山口百恵の「秋桜(コスモス)」なんかが有名ですが(年バレる…)、それ以外でもいい曲があります。 そのうちいくつかをピックアップしてご紹介します。

「MOTHER」 SEAMO

 名古屋のヒップホップシーンをリードするSEAMOの母親への感謝をテーマにした名曲。
母親の存在をうとましく思ったこともあったけれど、離れて暮らしてみてわかる母親の偉大さと大切さ。 誰もが一度は経験しているような母親とのエピソードや、普段は恥ずかしくて言葉に出来ないような母親への感謝の気持ちがストレートに詰まった曲です。
まだできていない“親孝行”をいつか届けようとする息子からの気持ちを表現し、自分も親孝行したいと思わせてくれる歌詞です。 軽快でPOPなサウンドでありながら、泣ける・・・

「ありがとう」 大橋卓弥

 母親への感謝の気持ちを素直につづったバラード。スキマスイッチのボーカリスト、大橋卓弥の作。
彼がこの曲を作ったのは、スキマスイッチとしてデビューする前だったといいます。 世に出すことを考えず、両親、特に母親へ感謝の気持ちを伝えたいという思いで作った曲。 シンプルなサウンドで胸の奥に秘めていた感情を素直に表したこの曲は、聴く人の心に深く沁み入ります。

「母賛歌」 Metis

 広島出身の女性レゲエシンガー、Metisが歌う二人三脚で歩んできた母娘の愛を感じる歌。
女手ひとつで育ててくれた母親への感謝と恩返しの気持ちを熱く、かつ淡々と歌い上げます。 夢を追って、母子ふたりで支え合い歩んできた日々を表したこの曲からは、母からの大きな愛と娘が母を思う強い気持ちが感じられます。 某テレビ番組で紹介された“泣ける歌”としても有名。

「彦山川 - あったかい瞳のかあちゃん -」 軍鶏

 軍鶏のボーカリストYOSHが生まれ育った土地と環境をリアルに描いた、母に捧げる歌。 母親への尊敬の念を込めた手紙のようなあたたかさを感じます。
小さい頃を思い返し、「あのときこうしてあげればよかった」といった後悔なども素直に表現され、母親への尊敬の念が感じられる内容になっています。 「また生まれ変わっても母ちゃんの子に生まれたい。」そんなフレーズや地元の方言での語り部分が沁みる曲。

「ヨイトマケの唄」

 美輪明宏(当時・丸山明宏)が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。
「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある槌を数人掛かりで滑車で上下する時の掛け声のことだそうです。 歌詞の中に「土方」「ヨイトマケ」など差別用語として扱われる言葉が含まれているとして、放送禁止歌に指定され、永らく民放では放送されませんでした。

 内容は、戦後の復興期の貧しい少年が高度成長期にエンジニアへと成長し、貧しかった生活の中で自分を必死で育ててくれた母への感謝の思いを歌うもの。もう40年以上も前の曲ですが、時代が変わってもずっと残り続けて欲しい“心の名曲”です。 私はこの曲を聴くと、本当にボロボロ涙が出てきてしまいます。
ちなみに桑田佳祐、米良美一、槇原敬之などたくさんのアーティストがカバーしていることでも有名。

 以上、私が選んだ「母を歌った歌」ベスト5でした。

2009年5月7日木曜日

母の日にできること

自分は一人っ子だ。
自分が母へプレゼントを贈らなければ、母は誰からも母の日を祝ってもらえない。
当たり前だけど。

そういう意味では、“責任”みたいなものを少し感じる時もある。

小さい頃は「兄弟がほしいなぁ」と思った。
でも今は、少しもほしいとは思わない。

ただ、もし自分に兄弟姉妹がいたなら、母にとって良かったような気がする。
今まで(今もかな?)私は、自分のことで精一杯で、親孝行なんてちっともできなかった。
それどころか、母に苦労ばかりかけてきた。

でも兄弟が何人かいたら、そのうちの誰かが出世をして、
私にはとてもできないくらい母へいっぱい親孝行をしてくれたら良かったのに。。。
なんて思ったりもする。  他力本願?

でも、友達から 両親を海外旅行へ連れていってあげた話なんかを聞くと
本当にしみじみ、そう思うことがある。。。

まぁ、現実は現実。 自分の出来る範囲で頑張るしかないす。(笑)

某ショップで、母の日のプレゼントを注文した。
選んだのは、カーネーションの花鉢と和菓子のセット。
去年より2000円くらい高い買い物だった。
でも、その2000円の違いが、自分にとっては大事な大事な自己満足だったりする。

母からもらったもの

若い頃、いろいろありまして・・・
世間からはあまり良い目では見られないような(?)人生を歩んでました。
(今でも、けっして優良な人生とは言えませんが。)
まぁそれでも私は、今も昔も Going My Way!! 胸を張って生きてきた。

でも親にだけは、すっかり心配をかけてしまった。
特に母には、随分と苦労をかけさせてしまった。

若い頃、母はとても元気で体も丈夫だったが、今はあまり丈夫ではない。
もちろん、年をとったせいもあるのだろうけど、それだけじゃなく、
きっとそれは、自分が今まで苦労をかけさせてしまったせいもあるんだろう
と思っていた。

しかし母は・・・
「○○(←私の名前)がいたから、お母さんは今日まで頑張って来れた。」
と、自分が心に抱いてきた母への申し訳ない気持ちとは逆のことをよく口にした。

自分が親になって
その意味が何となくわかってきたような気がします。

「親思う気持ちに勝る親心」

まったくその通り。

年に一度、カーネーションの花束を母に贈ってはいるけれど、
何万本、何千万本分の花束に値する愛を、母からもっらたことか・・・

と、しみじみ思う今日この頃。

母の日の由来

今年のゴールデンウィーク、悲しいかな予定無しの日が続いていた私は、母の日のプレゼントを探そうと、ネットであちこちの母の日特集のページを見て回っていた。
その中でちょっと面白いコラムを見つけた。
母の日の本当の由来というものだ。

一般的に言われている母の日の由来は、次のようなものらしい。(以下引用)

1908年、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き、そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡しました。
彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし、残された娘二人を一人で育て上げました。
アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け、ついには、1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定しました。 そして1914年には、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定。 ついに国の祝日として認められたのでした。

というもの。

でも、本当はその背景に、もっともっと深い理念があったようです。
「平和への願い」と切っても切り離せない切実な思いが存在していたようです。
難しい思想のようなので、ここで解説するのは控えますが、興味のある方は、「母の日 本当の由来」で検索してみて下さい。

アンナは、亡くなる間際に次のような言葉を言い残したらしい。
「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによって、お母さんの恩に報いたかった。」

確かに、アンナの気持ちもわかるような気がする。
特に必死になってスパムまがいの宣伝までかけてるような広告サイトのオーナーさんなんかを見かけるとね。

まぁでもやっぱり母の日には贈り物をするってことが、私にとっては大切なことのです。

母の日のプレゼント選び

あと3日で母の日だ。
お花屋さんに勤める友人の話では、この時期はいわゆる「母の日商戦」というやつで、一年の内でもクリスマスと並ぶ かき入れ時らしい。

某大手スーパーの「母の日フラワーギフト」のパンフレットを見ながら、母へ贈るプレゼントを物色してみた。
ネットでもいろいろその手のショップを探してみた。
大手フローリスト(お花屋さん)やデパート、ネットショップなどが、母の日用のギフト特集をやっている。
正直言うと、目移りして選ぶのが大変・・・

母の日と言えばカーネーション。
でも、何故か最近ではバラの花が目に付く。
一般的に、健在の母には赤いカーネーション、亡くなった母には白いカーネーションを捧げるらしい。
花以外では、カステラ(これまた何故なのか)が目に付く。

母側の視点から言えば、プレゼントの中身はあまり関係なかったりもする。
子供が母のためにと贈ってくれたものなら、中身が何であっても嬉しい。
カーネーション一本でも、豪華なプレゼントでも、「お母さん、ありがとう」の作文(←これ、感激しますよね...)だけでも、心に響く嬉しさは同じです。
(これが旦那からのプレゼントとなると、そうはいかない。(笑) )

とは言え、贈る側の立場から言えば、やっぱり目移りして選ぶのが大変・・・
昨日からあちこちのショップサイトを奔走している。

「母の日のプレゼント選びって、結構ムズカシイ!」